旗手怜央、父親の高校時代のスポーツは?家族、プロフィールも! | すーりらブログ

旗手怜央、父親の高校時代のスポーツは?家族、プロフィールも!

スポーツ

旗手怜央選手は、セルティックFC(スコットランド)に所属するサッカー選手です。

2月11日のスコティッシュFAカップ5回戦でセント・ミレンと対戦し旗手怜央選手の2ゴールの活躍で5-1でセルティックFCが勝利しました。

この活躍に現地では、「旗手は最高のプレーヤー」、「旗手エグい」、「我々の最高の選手というのは明白」、「これはうますぎ」、「なんていうコースに決めてるの」、「別次元だ」、「パスを出してシュートを決めるのはとんでもない才能だ」と称賛の声が集まりました。

日本人選手が、海外で活躍してくれるのは本当にうれしいことです。

旗手怜央選手は、どんな選手なのでしょうか?

父の高校時代のスポーツはサッカーなのでしょうか?

旗手怜央選手のプロフィールもご紹介したいと思います。

旗手怜央選手の父親の高校時代のスポーツは?

旗手怜央選手の父親の高校時代のスポーツは、サッカーではありません。

高校(PL学園)・大学(法政大学)・社会人(本田技研鈴鹿)で野球で活躍された方です。

名前:旗手浩二(はたてこうじ)

生年月日:1966年10月25日(56歳)

出身地:大阪府

投球・打席:右投右打

ポジション:遊撃手、二塁手

高校時代は、PL学園で清原和博さん、桑田真澄さんの1学年上で全国高校野球選手権大会にショートとして出場しました。

PL学園の成績

高校2年生   全国高校野球選手権大会1983年  優勝(メンバー外)

高校3年生   センバツ高校野球1984年       準優勝

        全国高校野球選手権大会1984年  準優勝

        アジア野球選手権大会の日本代表   1993年

のちにプロ野球選手となって活躍した選手が5人もいたPL学園なので、輝かしい成績ですね。

社会人野球でのプレーを終えられてからは、同じ本田技研鈴鹿の監督として采配を振るいました。

なかなか監督を経験するプレーヤーは少ない印象です。

旗手怜央選手は監督にまで就任された方の長男ということで、小さいころからスポーツに向き合う姿勢を学ぶことができたのではないでしょうか。

旗手怜央選手の家族構成

旗手怜央選手の家族は、

父・母・姉・旗手怜央選手の4人家族です。

父・母ともに厳しい人と言っています。

勉強をしなくて怒ることはなかったけど、人に迷惑をかけたり時間を守らないと怒られたそうです。

お二人の子育ての理念が一緒だったのですね。

旗手怜央選手が困ることは怒られなくて、人に迷惑をかけることでは怒られたそうです。

前日の夜に弁当箱を洗っておかないとお弁当を詰めてもらえなかったと言っていました。

それも自分が困ることなので怒られなかったのでしょう。

川崎フロンターレに所属していた時は毎試合応援に駆けつけてくれたそうです。

息子の活躍を楽しみにしてるのですね。

母・姉とも一般人なのでどんな方かは情報がありませんでした。

旗手怜央選手のプロフィール

名前:旗手怜央(はたてれお)

生年月日:1997年11月21日(25歳)

出身:三重県鈴鹿市

所属:セルティックFC

ポジション:DF・MF・FW

身長:171cm

体重:70kg

略歴

中学時代は四日市FCでプレー。

静岡学園高校に進学して2年生に時に全国高校サッカー選手権でベスト8。

3年生のとき県大会準決勝出場。

順天堂大学に進学し、関東大学サッカーリーグ戦では1年生ながら9得点を挙げて新人王を獲得。

2年生では全日本大学選抜・世代別代表を経験。

3年生ではJリーグクラブの練習に参加し、川崎フロンターレの入団が内定した。

2020年より川崎フロンターレに入団。

2021年セルティックFCに移籍。

2022年 FIFAワールドカップ・アジア3次予選日本代表に選出。

(2022年FIFAワールドカップのメンバー落選)

旗手怜央選手は、いろいろなポジションをこなせる選手なので必要な選手になれると思います。

今、セルティックFCには、古橋享梧・前田大然・岩田智輝・小林友希・そして旗手怜央と5人の選手が所属しています。

昨年6月に就任したセルティックのポステコグルー監督は、18年から横浜Mを3年半指揮し、19年には圧倒的な強さでJリーグ優勝。そのサッカーは、「革命的」と呼べるほどの衝撃を与えた。これまでにない速いテンポでパスをつなぎ、相手チームに息をつくひまも与えずにゴールに向かっていく超攻撃的なサッカーである。

こうしたサッカーのアイデアは、早くから彼の脳裏にあったようだ。しかし横浜Mに着任する前に指揮をとったオーストラリアのいくつかのクラブやオーストラリア代表では思いどおりにはいかなかった。それが横浜Mで実現できたのは、狭い地域でパス交換ができる日本人選手の技術や戦術能力に彼のサッカーが適していたからだ。

引用元:日本経済新聞

小林友希選手は、この記事の後に移籍しています。

サッカーの世界では、戦術が重要となっています。

監督やコーチの戦術を演出するプレーヤーで変わってくるのでしょうね。

世界と比べて決して身長が高いわけではなく、でも日本の選手ならではの器用さなどを上手く使えば世界と互角に戦える要素があるのですね。

それを世界で実現しようとしていることは、すごいことだと思います。

その中の選手に選ばれることもすごいことですが、ぜひ結果を出してもらいたいです。

言葉の違いや、世界に各国から選ばれた選手の中で試合に出ることの厳しさなど世界で活躍するのは大変ですけど頑張ってもらいたいですね。

きっと旗手怜央選手の父親も厳しさを知っていて、見守っていてくれるのだと思います。

そこは、語らなくとも通じるものがあるのでしょう。

まとめ

旗手怜央選手の父親は、PL学園野球部で全国高校野球選手権大会に出場していました。

旗手怜央選手の母親と姉は一般人です。

旗手怜央選手のプロフィールもご紹介しました。

旗手怜央選手のこれからの活躍を期待します。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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